ごはんがおいしい。

将来新潟に還りたい夫婦の生活記録

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少年たちは花火を横から見たかった~打ちあがる花火の数だけ日常を噛み締める~

夏が来た。

6月には既に「夏が来た。」と思っていたが、甘かった。

刺すような日差し

調理されている魚の気分になれるアスファルト

身体には執拗に纏わりつき、ぬめり気のある空気

すべてが揃って「夏が来た。」と言えることに、僕は今気づく。

 

雨は突然降り注ぎ、雷はへそを奪いに来る。

風鈴の音に風情を感じる暇もくれず、暑さは僕らを生き急がせる。

夏の海は煌煌と陽気を跳ね返し、僕らを焦がそうと享楽にふける。

夏は気まぐれで、残酷なやつなのだ。

 

麦茶が一段と美味しいと感じられるのも、

西瓜を頬張ることに喜びを得られるのも、

かき氷なんぞが至高の甘味に勘違いしてしまうのも、

すべては夏の気まぐれと残酷さが原因だ。

 

しかし、記憶が残る数年前はどうだろう。

誰も家から出られず、どこもかしこも自粛ばかり。

伝染病の恐怖に怯え、家族と社会を天秤に掛けられる毎日。

外に出れば口元を覆う不織布が僕らを罰した。

しかし、夏の気まぐれと残酷さに僕らが苛まれることがなかった。

夏の暑さに苗床を奪われんと、必死に囲いをかけていた。

 

今日。花火が上がった。

昨日もどこかで、明日もどこかで夏の思い出が咲き誇る。

きっとその花は時が過ぎても思いに残る。

夏の気まぐれが日常を彩る。

腹に響く鈍い音が心に強く文字を刻む。

 

夏が来た。

暑さは刻々と増し、僕らを苛む。

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花火大会がどこもかしこもで開かれるようになりましたね。

ただただ嬉しい日が続きます。

数年前の今はコロナが猛威を振るい、夏が無くなる時期がこようとは思いませんでした。あの日々はとにかく悲しいし、苦しい毎日であったと思います。

今日もどこかで花火大会が開かれていることでしょう。

Twitterでは日々花火の報告も目にします。

その頃を思い出すと、今はどれほど幸せなのかと思い起こさせます。

皆でこの暑い夏を楽しく乗り切りましょう。

 

【ブログタイトルの引用元】

あの日に置いてきてしまった胸の締め付けられる感覚を得られます。

この夏の思い出に、一読してみては如何でしょうか。オススメです。