こんにちは、ダンナです。
はてなブログの今週のお題が手帳について、ということで久々にお題に沿って書いていきたいと思います。
私にとっての手帳はタスク管理の為のツールでしかありませんでした。予定を詰め、考えたことを書き記し、目標と成果を照会する。ただそれだけの“モノ”でした。
そこに思い出はなく、ましてや特別な感情などありません。あるとすればダイソーのドラえもん手帳を使っていたので、「ドラえもん可愛いな~」くらい。
しかし、ヨメと出会い、ヨメと逢瀬を重ねるにつれて手帳は「モノ」から「思い出」と成ったのです。
遠距離恋愛をしたことがある方、現在進行形の方ならば少なからず共感いただけると思うのですが、純粋な「寂しさ」が頻繁に襲い掛かります。
ふとした瞬間、今の気持ちを共有できないとき、仕事で忙殺されてしまい連絡が途切れ途切れのとき…などなど…。
月に一度や二度会うだけでは拭いきれない新潟と東京の物理的・精神的距離は逢瀬の別れ際に寂寥感を際立たせました。
ある日、ヨメからプレゼントされた手帳によって問題は解決されました。
そんな便利なひみつ道具が「新潟手帳ォ*1」(CV.大山のぶ代)
今までのドラえもん手帳では「いつ会うのか」「いつあったのか」など過去と未来を書き記すことしか出来ませんでした。これは主体が僕であり、僕の見聞きしたものしか書き記せないから必然のことです。
しかし、新潟手帳は有無も言わさず「新潟」を押し付けてきます。押し売りです。
新潟県内のイベントや観光情報、地域についてなど、新潟に関するありとあらゆることが掲載されています。
例えば何の気なしに手帳を開くと「おっ、今週末は○○ってイベントがあるのか!」と自分の予定ではない予定が日付に書き込まれており、確認することができます。それがヨメの地域であるならば尚更親近感が湧くというものです。
こういった押し売りを受け続けているうちに、ヨメとの精神的距離感が近くなっていることに気づいたのです。あら不思議。
ヨメを思えば思うほど離れている間の一日は遠く、一分は長く感じました。それに比例して逢瀬のときは早く感じます。これは焦りや寂寥感から来るものであったと思います。
何にせよ新潟の押し売りをされたことにより、新潟の存在が身近になり、結果的にヨメとの距離も縮まったというお話です。狭かった視野が広がった感じですね(多分)。
手帳。このワードを見るたびに思い出す遠距離恋愛の思い出。こらからも夫婦として思い出を重ね、手帳をつみあげていきたいと思います。
ちなみに、タイトルはヨメ記事からのオマージュ
【以下、公式サイト】
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