ごはんがおいしい。

将来新潟に還りたい夫婦の生活記録

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徒然なるままに筆を執るだけの何も意味のない日記

いつもブログを書くとき、テーマを決める。

それは投資やお金のことについてであったり、新潟移住計画の想いや計画であったり、時々趣味のことであったりする。

その際、僕は何か情報を伝えなければと考えている。

記事を書く以上、読み手が居るのだ。

アイキャッチを作り、タイトルを考え、目次を作成し、内容を練る。

端的に、時に道草を食いつつも目的地へと誘導するように文字を綴る。

 

しかしそれは、時折人間味を帯びない文章になっていまうのである。

僕という人間が書かなくても良い文章になってしまうのだ。

こと投資やお金についていえば、僕でなくともよい。

本やニュース、他の経済評論家が書くコラムで充分なのだ。

そこに僕は居ないのである。

 

最近、過去の記事を精査するようにしている。

話が突飛であるように感じるかもしれないが、今はなしている内容の根幹であるのでご容赦頂きたい。

過去の記事、それも初期の記事では僕が書いた記事であり、そこに僕が居る。

僕にしか書けない拙い文章で、僕にしか書けない稚拙な考えが纏まっている。

しかし、垢抜けした大学生のように日を経るごとにテンプレートと化した記事が目立つ。時折商品の説明をしたり、恰好を付けた言い回しをしたり、何かに媚びを売ったり。その垢抜けかたは様々だ。

そういった記事が悪いとは思わないし、書いているときも楽しいと感じる。

 

しかし、このインターネットという大海に埋もれてしまうだけの理由があるようにも思える。

なぜならばそこに僕は居ないし、僕が書かなくても良い記事であるからだ。

信ぴょう性の高い機関の考察でもなければ、不特定多数の商品レビューでもない。

ただ僕が何かに媚び、恰好を付けた言い回しをして、時折商品の説明をしているだけに過ぎない。

 

そこで思い立ち、書いたのがこの日記である。

何も考えず、キーボード上で指が動きたいと思っている場所に指を置き、理路整然としない何かを書こうとやっきになっている。

しかし、今、それでも何かに媚びようとしているし、恰好を付けた言い回しをしている。

 

いつもとやっていることは変わらないのかもしれない。

ただ、この文字を綴るという時間は非常に心地よく、とても楽しいのだ。

雨粒が地面に落ちる様を眺めるのが楽しいのと同じで、ただ思いつく言葉が画面に映り、文字としてまとまり、言葉へ成る。これが最高に気持ちが良い。

 

約3年。ブログを書いているが、一度もやめようと思ったことはない。

それは新潟への想いを伝えたかったり、新潟移住計画について考察し仲間を増やしたいという思いがあったり、お金の話をすることで助けになると思ってくれる人が居たからである。

ブログを書くというのは、本当に楽しい。

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