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将来新潟に還りたい夫婦の生活記録

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【雑記】優しさは歩いてこない、だから歩いて行くんだ。~ヨメの一言で自分を少し許すことが出来たよ、というお話~

お題「自分をちょっと好きになれたとき」

優しさ溢れる人になりたい。
日頃より思ってはいるが、ときどき忘れてしまう。
一方、ヨメ氏は生粋の”優しさ溢れる人”である。
その行いの良さに、ある種の師として心の底から感心し、尊敬することがある。
たまにだけど。普段はぼのぼのの世界の住人みたいだし。
勿論僕自身、つんけんしていたり、攻撃的な人間ではない。
「ダンナさんは優しいね~」

「人当たりのいい人でよかった~」

とお世辞手は頂ける程度の人間ではある。

本性を知っているヨメからは「うまく擬態している」等のお褒めの言葉を頂くが…。

しかし、身近に模範的な“優しさ溢れる人”がいると、自分の醜さに嫌気がさすことがある。まあ、この性格も含めて僕は僕のことが好きではあるが、時々嫌悪感に苛まれる。
果たして僕は優しさのない人なのだろうか。


たしかに人から褒められる部分は、打算的な優しさであることには違いない。
「これやったら喜ばれるな~」
「こうしたら褒められるよな~」
「こういうのが好きなんじゃろ~?」
など、その行いが好意や好感度に繋がることを理解し、実践していることは否めない。
自然とやってきた優しさ、そのすべてがそうなのかもしれない。
まったく、僕という人間は性格が悪いな。と考えれば考えるほどに嫌悪が増す。

ある日、僕は自分を少し好きになった。

いや、元から好きだが、言い換えるなら「許せる」ようになった。

 

みんな足早に年越しを迎える準備をしていた12月。
師走の時期は、いつもより1.5倍速で動く世界といっても過言ではない(過言である)。
そのためか、周囲の異変に気が付く人の数は減り、普段は世界に誇れる完璧な接客をする店員さんであっても対応が遅れるのだ。

仕方がないことである。それほどまでに忙しい。

 

そんな年末の忙しい時期のスーパーで困っているおばあさんを見かけた。
高い戸棚にある大きな鏡餅の箱を何とか取ろうとしているのだ。
周りに人はいるが気づいておらず、レジから近いが店員さんは気づかないどころか、手が離せない。師走の時期は2倍速で動いているから仕方がない(増えた)。

常日頃から周囲を見る癖のある僕は「あ~、あの人困っているな~」と気づいたため、何気なく近づき、「とりましょうか?」と声を掛け、鏡餅を取ってあげた。
おばあさんは笑顔で「ありがとうございます」と声を掛けてもらい、深々と頭を下げられた。

そんなに感謝されることでもないため、照れながらも会釈を返し、その場を去った。
呑気にゆるゆると店内を歩き、鏡餅を取ったことも忘れ、用事を済ませてからお店を出るとヨメから突然褒められた。

ヨメ「すごいね。自然と人助けが出来るんだもん。」
ダンナ「普通だよ。ボールが転がってきたから返したのと同じだよ。」
ヨメ「でも私は気づかなかったもん。周りも。すごいよ、えらいじゃん。」
その後も「あの時もこうした、この時はこうしていた」と、自分では気にしていなかったことを挙げられた。

この日、僕が“優しさ溢れる人”の師であると思っているヨメから褒められて、「性格が悪い」と自己評価を下げていた自分を少し許すことができた。

 

あなたは自分のことが好きだろうか。

もしそうでないならば、自分の良さに気づいてあげてほしい。

きっとあなたも良い人だ。

 

 

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